ももんじ屋/ももんじい屋
学校のお勉強では、
仏教
の影響を受け、676年4月17日の
肉食禁止の詔
から
明治時代
の間には、
牛
、
馬
、
犬
、
鶏
、
猿
の
五畜
の獣肉は食べなかったと習う。
しかし実のところ、獣肉は古代から食べられており、
肉食禁止の詔
は、必ずしも守られていなかった。
肉食禁止の詔
以降も、祭祀の一環として、狩猟で得た獣肉を調理し、神事の一環として食べて来た。
長享
元年(1487年)の
神祇道服忌令秘抄
では「
四足物食用之事。鹿猪猿狐里犬ハ七十日憚之。合火ハ五十日。又合火ハ卅日也。此日限神社へ參詣スベカラズ。
」とあり、獣肉食の習慣があった事が伺える。
中世
に書かれた
庭訓往来
にも、「豕焼皮」という脂肪が乗った
イノシシ
の皮を焼いた料理が出て来るし、
本能寺の変
の直前、
織田信長
が
徳川家康
を饗応した際の献立には、
鴨
汁、
青鷺
汁、
たけのこ
と
白鳥
、
鴫
の羽盛りなどあり、戦国大名は普通に獣肉を食べていた事が伺える。
江戸時代
の
料理物語
に、シカは汁、煎焼、
イノシシ
は汁に田楽、そして
ウサギ
、
タヌキ
、
クマ
、
カワウソ
、
犬
などを汁や、貝焼(加熱した貝殻の上で肉を焼く事)、田楽にして食べる料理法が記述されている。
さらに
文化
・
文政
期に、
長崎
の
出島
から西洋科学・・・いわゆる
蘭学
によって、獣肉を食べる事が体に良いと伝わっている。
体に良いから、
薬食い
と称して、密かに食べられていた。
当時、獣肉を食べる飲食店は、
山くじら
とか
ももんじ屋
、または
ももんじい屋
ののぼりを立てていた。
江戸時代に、鯨は魚の1種とされ、食べて良い事になっていた。
ももんじい
、
ももんじ
とは、歳老いた
モモンガ
の事。別名、
野衾(のぶすま)
とも呼ばれ、人間に飛びついて包み込み、窒息させる妖怪。
ももんじい
、
ももんじ
は、
百々爺(ももんじじ)
とも書く。
モモンガ
は、空を飛ぶので鳥と見なし、食べて良い事になっていた。
イノシシ
を
モモンガ
だと言い張っていたのだろうか?
食べて良い獣肉を文字って、
山くじら
とか
ももんじ屋
と呼んでいたのだ。
天保
期の
国学
の大家
小山田与清
は、獣肉食の流行に「
いずれも蘭學者流に起れる弊風也かくて江戸の家屋に不淨充滿し祝融の怒に逢事あまたゝび也可レ哀可レ歎。
」と嘆いている。
実は
小山田与清
は、獣肉を食べる
カモフラージュ
として、嘆いて見せただけだったりして(笑)。
馬肉を
さくら
、
イノシシ
肉を
ぼたん
、または
山くじら
、シカ肉を
もみじ
等と隠語で呼ばれ出したのはこの頃で、裏では獣肉食が流行しつつも、大ぴらに出来なかった事情が伺える。
明治
4年(1871年)に、宮中の正式料理としてフランス料理が採用された事で、
肉食禁止の詔
は、終焉を迎える。
明治
5年(1872年)1月24日、明治天皇が、当時流行していた
すき焼き
の元になった料理・・・
牛鍋
を食べ、肉食の模範を示した。
今半
ではこの日を「すき焼きの日」としている。
ももんじ屋/ももんじい屋 両国ももんじやの猪鍋
Last Update 2007.08.04 Created by Majin