ドダン・ブーファンのポトフ
  そばの話



  そば粉とつなぎ


 そば粉は、そばを打つ以前につなぐのが難しい。
 そのため、そば粉8にうどん粉(小麦粉)2を混ぜ、つながりやすくする。
 これが二八そばの始まりで、享保13年(1728年)「享保世説」に二八そばの記述がある事から、起源は、そのあたりと言われている。
 二八そばの呼び名は、そばの値段が16文であったことから、隠語として2×8=16文で、二八そばと呼ばれたという説もある。

 現在では二八そばのつなぎに、山芋粉や、ふ海苔(へぎそばのつなぎとしても有名)等も使用される。

 そば粉10、うどん粉(小麦粉)2で打ったそば外二、この割合が10:1になると、外一と呼ぶ。
 そば粉500グラムを例に取ると、小麦粉100グラム加えると外二小麦粉50グラム加えると外一となる。

 それに対し、そば粉のみ十割で打ったそば十割そば、または生粉(きこ)打ちと言う。
 十割そばは、打つ過程で、生地に空気が入ったりして、麺がぼろぼろ崩れやすくなり、難しい。
 そのため、十割そばを売りにしているそば屋は少ないのだ。

  そばの収穫時期による分類


 昼夜の温度差が大きい方が、美味いそばとなると言われ、夏から秋にかけて種まきし、晩秋から冬にかけて収穫する。
 そばの実は、実が黒化してから収穫する。
 実の成熟は、トータルの日照時間によって左右されるが、おおよそ1カ月半くらいが目安。
 その土地の気候、品種によって、そばの収穫期は異なり、1月下旬頃まで、日本各地で収穫される。

 北海道や、本州の高地、長野県等の冷涼な気候の場所は、夏に種まきし、10月下旬頃までには、そばの実を収穫する。
 夏に種まきするのを夏そばと言う。
 ポピュラーに流通している夏そば代表的品種に、キタワセ牡丹そばがある。

 秋に種まきするのを秋そばと言う。
 ポピュラーに流通している秋そば代表的品種に、常陸秋そば九州秋そば宮崎大粒がある。

 夏そば秋そばの間に種まきするのを中間型と言う。
 ポピュラーに流通している中間型代表的品種に、階上早生信濃一号がある。

 なお、あまり流通していない在来品種は全国に多数あり、交雑して品質が安定していない場合が多く、品種名すらない場合もある。

品種名
タイプ
産地
特徴
牡丹そば
夏型
北海道
キタワセ原種。現在では交雑が進み、あまり生産されていない。
キタワセ
夏型
北海道、長野県
牡丹そばから選抜固定した新品種。1989年に農林水産省に登録した初のそば品種。
階上早生(はしかみわせ)
夏〜中間型
青森県、岩手県
1918年青森農業試験所が在来種より選抜。
常陸秋そば
秋型
茨城県、関東近辺
金砂郷在来品種から、茨城県農業試験所が選抜固定した新品種。
信濃一号
中間型
関東北部から中国地方にかけて
長野県農業試験所桔梗ヶ原分場が、福島在来系統から選抜固定から選抜固定した品種。
信州大そば
やや秋型
本州中部
信州大学農学部によって信濃一号から育成された四倍体品種。
宮崎大粒
秋型
南九州
宮崎大学農学部が育成した、宮崎在来からの四倍体の新品種。
九州秋そば
秋型(9月以降種まき)
宮崎県、鹿児島県
鹿屋在来など、南九州のそばのブランド名称。比較的小粒。


  そばの香り


 秋になると新そばが、そば屋に出回る。しかし、新そばが、あまり香らなかった経験はないだろうか?
 収穫し立ての新そばは、水分含有量が高いため、普通に挽いてそばを打っても、余り香らない場合がある。
 収穫後、2ヶ月程度置いた、1月、2月頃には、適度に水分が抜け、そばの香りが最も良いと言われている。

 今食べてるそばが、最も美味い時期かどうかは、そばの実の品種、いつ収穫されたかによって異なる。
 例えば、1月に収穫された茨城そばなら、3月から4月が最も良い香りなのである。

  江戸そば


 日本全国に、江戸時代から続くそば屋があるが、お江戸、東京で、連綿と続く老舗そばの3大屋号は、更科砂場
 さらに、一茶庵、東家を含め、5大老舗という場合もある。

  藪


 藪の名称の始まりは、江戸時代に雑司ヶ谷鬼子母神の近くのやぶの中にあった、百姓家の「爺が蕎麦」と言われている。
 その後、藪の屋号のそば屋が、江戸中に流行した。

 江戸時代、山口伝次郎が30歳の時に、武士の生活に嫌気がさし、手先が器用だったので、団子坂で蔦屋と言うそば屋を始めた。
 蔦屋のまわりには、藪が茂っていたので、通称藪蕎麦と呼ばれていた。
 蔦屋は繁盛し、当時団子坂に1600坪の敷地で、前庭には崖や滝が造園されていたそうである。

 その後、団子坂蔦屋3代目、三輪伝次郎が明治39年(1906年)に、相場で失敗する。
 浅草蔵前で、砂場系の「中砂」というそば屋をしていた堀田七兵衛が、団子坂蔦屋の神田連雀町店を譲り受け、屋号をかんだ藪蕎麦とした。
 その後、蔦屋は廃業する。
 これによって、かんだ藪蕎麦が藪蕎麦本店として、看板を受け継いだ。

 参考:大阪・上方の蕎麦〜江戸そばの源流

  更科


 日本全国にある更科系そば屋の総本山は、創業寛政元年(1789年)の今はなき麻布永坂更科。
 元々あった製法を発展させ、現在の更科そばの製法を確立したそうである。

 船橋更科(ふなばしさらしな)を初めとする、幾多のそばの名店を排出した、築地さらしなの里の初代ご主人は、麻布永坂更科で修行したそうである。
 麻布永坂更科は昭和16年(1941年)閉店するが、昭和24年(1949年)、再興したのが現在麻布十番永坂更科 布屋太兵衛
 昭和59年(1984年)に、この店から分かれて、麻布永坂更科を経営していた堀井家の子孫が始めたのが、総本家 更科堀井である。

 つまり、そば屋としての直系は永坂更科 布屋太兵衛、血筋としては総本家 更科堀井が麻布永坂更科とつながっている。

 参考:東京紅團〜子母沢寛の「味覚極楽」を歩く 更科編

  砂場


 大阪市西区新町南公園に、日本最古の麺類店発祥の地の石碑がある。
 この地こそ、砂場そば発祥の地。
 意外な事に、砂場そばは、大阪発祥なのだ。

 この場所は、大阪城築城の際、資材置き場で、近所の人は砂場と呼んでいた。その地にあった和泉屋、津国屋が砂場そばの起源。
 砂場そばが、いつ東京に進出したのか、正確には分からないが、寛延4年(1751年)の蕎麦全書に、薬研堀の「大和屋 大阪砂場そば」が記載されている。
 現存する砂場系最古のそば屋が、江戸時代に麹町から移転した、南千住砂場
 ちなみに、慶応年間で暖簾分けされた、室町砂場が中興の祖となり、現在都内各所にのれん分けした。

 ※砂場の由来は、sjtのホームページから引用
 参考:大阪・上方の蕎麦〜江戸そばの源流

  そばの種類


 そば粉は、製粉方法によって出来上がるそばが大きく異なる。

 そばの実の外側から、そば殻。
 これは、枕の材料になる事で有名。もちろん固くて食べられない。
 そば殻を含む、乾燥させたそばの実を玄そばと言う。

 玄そばからそば殻を取った状態を、丸ぬきと言う。
 丸ぬきの外側を製粉したものを外層粉、更に中を製粉したのを中層粉、中心部を内層粉(別名御膳粉)と呼ぶ。

 そばを石臼で挽いた時に最初に出る1番粉は、内層粉、次に2番粉は中層粉、3番目は外層粉、最期に4番粉が挽かれる。
 この4種の粉をどのように使用するかによって、出来上がるそばが異なる。

  田舎そば


 昔ながらの製法で作られるそば
 1番粉から、外層粉の甘皮まで製粉する4番粉まで、いわゆる挽きぐるみを使用するため、黒っぽい色となる。
 甘皮や外層粉には、繊維質が多く含まれ、香りも強く、でんぷん質を含む中層粉、内層粉と共に、そばの香りと歯ごたえ、喉越しを同時に味わえるそばとなる。

  並そば


 主に2番粉以降(別名並粉)を使うそばで、やや黒ずんだ色のそばとなる。
 田舎そばの荒々しい香り、歯ごたえに対し、品の良い香り、歯ごたえのそばとなる。

  藪そば


 並粉御膳粉を使うそばで、やや緑がかった色のそばとなる。
 香り、歯ごたえ、コシのバランスに優れ、かみしめる程に甘みが出る。

  更科そば


 御膳粉のみを使うそばで、白いのそばとなる。
 穏やかな香り穏やかな風味で、歯ごたえが良く、上品な味わい、喉越しとなる。

  粗挽き


 通常のそば粉は40番メッシュ(目開き0.4ミリ前後)以上の細かいふるいにかけるが、丸抜きを40番メッシュ以下(メッシュは数字が小さくなると目開きが大きくなる)の粗いふるいにかけたそば粉を、粗挽き粉と言う。
 粒が大きいため、そばの香りは強くなり、茹でると柔かくなり、もっちりした食感になる。
 反面そばはつながりにくくなるため、並粉を混ぜて打つ事が多い。
 玄そばから粗く挽いた粉でそばを打った場合、粗挽きと呼ぶか、田舎と呼ぶのか、職人によって異なる。

 近年、長池泰弘氏が、粗挽き粉のみでそばを打つ、長池流を提唱しているが、難易度は高い。



Last Update 2014.12.05 Created by Majin