ドダン・ブーファンのポトフ
  ピッツァ(Pizza)



  ピッツァの歴史

ピデ(Pide)
 ピッツァは、ナポリの船乗りの保存食であった白く薄いパン、フォカッチャ、そして俗説ではフォカッチャは、インドのパンをまねて作られたと言われている。
 その裏付けになるかどうか、インドからイタリアの中間地点、トルコにはピデ(Pide)と言うピッツァとよく似た料理があり、さらにイタリア寄りのギリシアにも良く似た料理がある。
 ピッツァの語源には、様々な説があるが、中には古代ギリシア語が語源との説もあるが、今のところ語源は分からない。

 997年、南イタリアのガエータで、ピッツァと言う言葉がラテン語で記録に出てくるが、これが現在のピッツァなのかどうなのか定かではない。


 17世紀半ば、フォカッチャのパン生地の上に、ラードとバジリコ、チーズを乗せて作ったのがマストゥニコーラ(Masto Nicola)
 これが、元祖ピッツァではないかと言われている。

 イタリアのトマトの古い記録は1601年、北イタリアにて。17世紀後半には、イタリア料理を一変させる。

 18世紀半ばパン屋がナポリの漁師の要望で、ピッツァ生地の上にトマトサルサ・ポモドーロニンニクオレガノを乗せて作ったピッツァが、ピッツァ・アラ・マリナーラ(Pizza alla Marinara)。これが、現在のピッツァの原形となった。
 このピッツァは栄養価も高く、漁師の妻も夫が漁に出る前に簡単に作れるため、漁師の間に広まったという。
 料理名を訳すと、漁師風ピッツァ

 当初はピッツァはパン屋で売られていたが、1738年にはピッツェリア・アンティカ・ポルタルバ(L'Antica Pizzeria Port'Alba)が、露店でピッツァを売り始める。
 1780年には、ピエトロ・コリッチオ(Pietro Colicchio)によって、ナポリに世界初のピッツェリァピッツァ専門店)、ピエトロ・エ・バスタ・コジ(Pietro e Basta così)が誕生した。
 その後、ピエトロ・コリッチオの娘婿、エンリコ・ブランディ(Enrico Brandi)に店が引き継がれ、ピッツェリア・ブランディ(Pizzeria BRANDY)が誕生する。
 ピッツェリア・アンティカ・ポルタルバは、1830年代に店を構えた。

 1889年、第二代イタリア国王ウンベルト1世と、王妃マルゲリータ・ディ・サヴォイアナポリを訪れた記念に、ピッツェリア・ブランディのピッツァイォーロ(Pizzaiolo/ピッツァ職人)、ラッファエレ・エスポジト(Raffaele Esposito)がピッツァを献上した。
 その時エスポジトは、イタリア国旗のトリコロールを模したピッツァを作った。
 それは、ピッツァ生地にトマトの赤、モッツァレラチーズの白、バジリコの葉の緑を乗せたシンプルなピッツァだった。
 マルゲリータ王妃は、このピッツァを大変気に入った。
 これが、ピッツァ・マルゲリータの始まりである。
 もちろんマルゲリータは、王妃の名前。

 Le origini della Pizza から引用


  ピッツェリア

ピッツェリア・ブランディ(Pizzeria BRANDY)
 ピッツェリァとは、ピッツァ専門店の事。
 ピッツァ食べる店で、ナポリではメニューにピッツァしかない店も多い。
 日本でも恵比寿にある、ナポリに本店があるL'antica Pizzeria da Michele(アンティーカ・ピッツェリア・ダ・ミケーレ)では、アンティパストピッツァのメニューしかない。
 ナポリの本店は、アンティパストすらなく、ピッツァのみのメニューなんだそう。

 日本では、ピッツェリァと言うのが認知されておらず、パスタなどのプリモ・ピアット、メイン料理のセコンド・ピアットそしてドルチェまである通常のイタリア料理店(トラットリアとかリストランテ)の経営形態の店が多い。
 自分の経験によると、ピッツァ薪窯のある店で、同時にパスタも美味かった例はほとんどない。
 残念ながら、客が求めるからパスタを出しているだけ・・・と言う店も少なくないように思う。


  ピッツァ職人

ピッツァイォーロ(Pizzaiolo)
 イタリア語でピッツァ職人をピッツェッタイオ(Pizzettaio)と言う。
 ナポリ方言では、ピッツァイォーロ(Pizzaiolo)と言う。

 イタリアで様々なピッツァ職人の大会があり、しばしば日本のピッツァ職人が優勝している。

 2002年、ピッツァフェスト優勝 大西誠
 2006年、ピッツァフェストテクニカル部門優勝 大西誠率いるPIZZA SALVATOR CUOMO(ピッツァ・サルバトーレ・クオモ)グループ
 2007年、2008年、世界ピッツァ選手権優勝 山本尚徳
 2011年、ナポリピッツァ職人世界選手権優勝 牧島昭成
 2012年、ナポリピッツァ職人コンテスト優勝 坂本大樹


  ピッツァ調理器具

ピッツァ薪窯
 イタリアのピッツァ好きは、薪でピッツァを焼く、ピッツァ薪窯の店で食べる。
 他にはガス窯、オーブンと言う調理法がある。
 薪窯は、ガス窯と比べ、水分が発生しないとかの特徴もあるが、もっとも薪窯である違いは、焼いた際の焦げ、それに伴う香ばしさではないかと思う。
 ピッツァ薪窯の内部は400度にもなり、ナポリ・ピッツァで3分程度、ローマ・ピッツァミラノ・ピッツァなら1分くらいで焼き上がる。

ピッツァガス窯
 ガス窯でも、焦げも出るし、香ばしさもあるが、薪窯ほどには鮮烈ではない。
 火力を強めると、ピッツァ生地全体に焦げが出て、食べられないものとなる。
 恐らく、凄腕のピッツァイオーロピッツェッタイオ)が焼けば、ガス窯でもそれなりに美味しいだろうと思うが、そもそも扱いが楽なガス窯を選んだ時点で、美味いピッツァを焼こうと言う心意気が劣る。
 ガス窯でピッツァの美味い店は、ほとんどない。

 密閉して焼くオーブンでは、フワフワもちもちの生地のナポリ・ピッツァは、水分が飛んで固い生地となる。
 オーブンでは、ローマ・ピッツァミラノ・ピッツァアメリカン・ピザのような、薄くてパリッとした生地でなくては向かない。
 オーブンで焦げを出す事は可能だが、香ばしさはガス窯に及ばず。
 当然ながら、ピッツァ薪窯とは比べものにならない。


  ピッツァの分類


  ナポリ・ピッツァ(Napoli Pizza)

ナポリ・ピッツァのコルニチョーネ
 ピッツァ発祥の地である、ナポリピッツァは、ピッツァ生地を発酵させてフワフワもちもちしているのが特徴。
 イタリアでは、直径およそ30センチくらいのが一般的。
 日本では30センチだと満腹になり過ぎるので、30センチより小さいのが一般的。
 特に、ピッツァの額縁部分、コルニチョーネ(Cornicione)の美味さを重視する。


  ローマ・ピッツァ(Roma Pizza)

生地が薄くてパリッとしているローマ・ピッツァ
 別名ラツィオ・ピッツァ(Lazio Pizza)。19世紀頃から食べられていると考えられている。
 ナポリ・ピッツァとは違い、生地が薄くパリッとクリスピーに焼くのが特徴。
 商業的に短時間でピッツァを焼け、客の回転を上げるため、ピッツァ生地が薄くなったのではないかと考えられている。
 街角には、電気のオーブンで焼いた、持ち帰り用のピッツァを売る店がある。


  ミラノ・ピッツァ(Milano Pizza)

生地が薄くてパリッとしているミラノ・ピッツァ
 生地が薄くパリッとクリスピーに焼くのは、ローマ・ピッツァと同じだが、ローマ・ピッツァよりさらに薄く、直径40センチくらいと大きい。
 商業的に短時間でピッツァを焼け、客の回転を上げるため、ピッツァ生地が薄くなったのではないかと考えられている。
 基本的にはピッツァ生地、サルサ・ポモドーロモッツァレッラ・ディ・ブーファラバジリコの、ピッツァ・マルゲリータのみのメニュー。
 そこに、ハムやソーセージ(サルシッチャ)のトッピングが可能。

 海外に伝わったミラノ・ピッツァ店では、ピッツァ・マルゲリータ以外のメニューがある場合もある。


  シチリアン・ピッツァ(Sicilian Pizza)

生地が厚くて四角いシチリアン・ピッツァ
 シチリアピッツァが食べられるようになったのは、19世紀半ば頃。
 2種類あり、厚い生地で四角いピッツァ、もう1種類はやや厚みのあるナポリ・ピッツァに良く似た生地。

生地がやや厚みがある円形のシチリアン・ピッツァ


  アメリカン・ピザ(American Pizza)

生地が薄くてパリッとしているアメリカン・ピザ
 19世紀後半に、イタリア移民からアメリカにピッツァが伝わったと考えられている。
 アメリカにおけるピザの古い記録は、1904年のボストン・ジャーナル(Boston Journal)。
 ナポリ出身のジェネロ・ブルーノ(Gennero Bruno)が、ナポリ・ピッツァを伝えに1903年にアメリカに来たと言う記事。
 ジェネロ・ブルーノはシカゴで、アメリカ初のピザ専門店との説がある、ループ(Loop)をオープンさせた。
 1905年には、ジェンナーロ ・ロンバルディがニューヨークでセイド(Said)と言うピザ専門店をオープンさせる。
 1905年には、ジェンナーロ・ロンバーディ (Gennaro Lombardi) によって、ロンバーディス(Lombardi's)がオープンする。

 アメリカでピザを食べていたのは、イタリア系移民のみで、一般に食べられるようになったのは第二次大戦後。
 イタリア戦線に参加した米軍兵士から、アメリカにピザが広まった。

 現在のアメリカン・ピザのイメージは、飲食企業による、オーブンで焼いた、生地が薄くてパリッとしているスタイル。


  シカゴ・ピザ(Chicago Pizza)

分厚い生地のシカゴ・ピザ
 1943年、テキサスの大学の有名なフットボール選手、シューウェル(Sewell)が、シカゴにピッツェリア・ウノ(Pizzeria Uno)をオープンさせたのが、シカゴ・ピザの始まりとされる。
 別の説では、1956年に、ピッツェリア・ウノのシェフが、シカゴ・ピザを作り出したとか。
 深い鉄皿に入れられ、場合によっては焼き上がり7.5センチにもなる、ピザハットも真っ青な分厚いパン・ピザ
 または、分厚いパン生地の中に詰め物をする場合もある。


  ピッツァのメニュー


 大きく2種類に分類出来る。
 ロッサ(Rossa)・・・直訳すると赤。サルサ・ポモドーロを使った赤いピッツァ
 ビアンカ(Bianca)・・・直訳すると白。サルサ・ポモドーロを使わない白いピッツァ

 ピッツァ・マルゲリータピッツァ・アラ・マリナーラ以外は、あまり定まったスタイルはない。

  ピッツァ・マルゲリータ(Pizza Margherita)

大西誠が焼いたピッツァ・マルゲリータ(Pizza Margherita)

 ピッツァ生地、サルサ・ポモドーロモッツァレッラ・ディ・ブーファラバジリコ


  ピッツァ・アラ・マリナーラ(Pizza alla Marinara)

ミニクッチ・マッシモタヴィオが焼いたピッツァ・アラ・マリナーラ(Pizza alla Marinara)

 ピッツァ生地、サルサ・ポモドーロニンニクオレガノ


  ピッツァ・ロマーナ(Pizza Romanaa)

池田哲也が焼いたピッツァ・ロマーナ(Pizza Romanaa)

 ピッツァ生地、サルサ・ポモドーロニンニクオレガノアッチューガ


  ピッツァ・ビスマルク(Pizza Bismarck)

ピッツァ・ビスマルク(Pizza Bismarck)

 ピッツァ生地、サルサ・ポモドーロオリーブプロシュート、玉子。
 モッツァレッラパルミジャーノ・レッジャーノを使うバリエーションもある。

 名前の由来は、ドイツの前身、プロイセンの鉄血宰相と言われた名宰相、オットー・フォン・ビスマルク
 イタリアと同盟関係にあったプロイセンの宰相、オットー・フォン・ビスマルクは、目玉焼きを乗せたビーフステーキが好みだったので、目玉焼きを乗せたピッツァを、ピッツァ・ビスマルクと、呼ぶようになった。


  ピッツァ・マルゲリータ・ビアンカ(Pizza Margherita Bianca)

ピッツァ・マルゲリータ・ビアンカ(Pizza Margherita Bianca)

 サルサ・ポモドーロを使わない、ビアンカピッツァ・マルゲリータ
 ピッツァ生地、トマトモッツァレッラ・ディ・ブーファラバジリコ


  ピッツァ・クワトロ・フォルマッジ(Pizza Quattro Formaggi)

ピッツァ・クワトロ・フォルマッジ(Pizza Quattro Formaggi)

 ピッツァ生地に、4種のチーズを使ったもの。
 サルサ・ポモドーロを使わない、ビアンカピッツァ
 主に使われるチーズに、モッツァレッラパルミジャーノ・レッジャーノゴルゴンゾーラタレッジオスカモルツァペコリーノ等がある。


  ピッツァ・オルトラーナ(Pizza Ortolana)

ピッツァ・オルトラーナ(Pizza Ortolana)

 名前の由来は、イタリア語で菜園。野菜がたくさん入ったピッツァ
 多くはビアンカピッツァとして作られるが、ロッサのバリエーションもある。

 野菜は、数種の季節野菜を使うので、これといった定番の野菜はない。
 ピッツァ生地、モッツァレッラパルミジャーノ・レッジャーノバジリコと共に焼かれる。


Last Update 2014.08.20 by Majin