ドダン・ブーファンのポトフ
  麻婆豆腐



  麻婆豆腐の由来


 麻婆豆腐誕生の伝説は、以下の3つ流布している。
 ちなみに、麻婆豆腐の名前の、麻は、麻子(あばた顔)と言い、不細工と言う意味。婆は、実は既婚女性を中国では婆と言う。

その1

 代の光緒年間(1875年から1908年)に、成都の万宝酱园(何と言う場所なのだろう?)に、油の行商をしている温家があった。
 その娘のあばた顔(みずぼうそうにかかった後水ぶくれ跡が残った顔)の温巧巧(ウェン・クィァオ・クィァオ)は、陳さんに嫁いだ。
 陳さんも油の行商を始めた。
 10年後、事故で陳さんが亡くなり、温巧巧は生活のため、同業の油の行商人や、隣近所ののために、料理を作って生計を立てていた。
 ある日、隣の兄夫婦から豆腐が、別の隣の兄夫婦から羊肉を持って来られ、それで辛い味付けで料理したのが、麻婆豆腐の始まり。
 この料理が美味しかったので、羊肉豆腐と看板を掲げて料理屋を始めた。
 温巧巧の死後、温巧巧のあばた顔(麻子)から、麻婆豆腐と呼ばれるようになった。

 関係ないが、光緒帝浅田次郎氏の小説、蒼穹の昴の舞台の清朝皇帝で、後にテレビドラマ化され、2010年から2011年にかけてNHKで放映された。

その2

 同治元年(1862年)、成都の街外れ、万福橋のたもとに、あばた顔(みずぼうそうにかかった後水ぶくれ跡が残った顔)の陳さんと言うおばさんが豆腐屋と料理屋を始め、豆腐が美味いと評判になり、商売が繁盛した。
 ある日、1人の客が、牛挽肉を持ち込んで、陳さんの店に入った。
 道向かいの家の豆腐屋のおかみさんが、陳さんの商売繁盛を妬み、また陳さんより若いのを良い事に、色目を使い、自分の店に誘導しようとした。
 この客は先を急いでおり、この時陳さんが手早く、辛い味付けの豆腐料理を作った。
 この客は、この料理を気に入って食べた。向かいの店のおかみさんは、店のお客さんの前で、陳さんのあばた顔が不細工なのを罵った。
 あばた顔のおばさん(麻婆)、陳さんが作るこの料理は、麻婆豆腐と呼ばれるようになった。
 これが評判を呼び、陳さんの店は、繁盛して行った。この店はいつの間にか、陳麻婆豆腐と呼ばれるようになった。

その3

 同治元年(1862年)、成都の街外れ、万福橋のたもとに、陳興盛飯舗と言う食堂があり、おじの陳興盛、陳春富と続き、陳春富が早死にしたため、陳春富の妻が店を経営していた。
 妻はあばた顔(みずぼうそうにかかった後水ぶくれ跡が残った顔)の未亡人(婆)だったので、陳麻婆と呼ばれていた。
 万福橋は木造橋で、通るのは生活の貧しい荷運びの人足(何と放送禁止用語!?)が多く、そんな客で賑わっていた。
 人足達は、牛肉や豆腐、油を持ち寄り、陳麻婆が作った、辛い味付けの豆腐料理が、麻婆豆腐の始まり。
 ちなみに、陳春富の妻の名を劉氏と書いている、日本のサイトがあるが、中国語サイトでは、調べた範囲では、その情報は見つからなかった。

陈麻婆豆腐
四川成都市區青羊區西玉龍街197号
028-86754512

 この店、日本にもお台場と赤坂に出店している。
 文化大革命の際に、麻婆豆腐の呼び名が女性差別だと言う事で、麻辣豆腐(マーラードウフ)と呼ばれていた事があるが、現在では麻婆豆腐の呼び名が一般的である。


  陳麻婆豆腐の做法(ズゥオ・ファ)


 陳麻婆豆腐の做法(ズゥオ・ファ)・・・レシピは以下の通り。
 豆腐を角切りして湯通しして上げておく。
 たっぷりの油に、牛挽肉を炒めて白くなったら、豆豉朝天椒(チャオ・ティアン・ジャオ)の粉、郫県豆板醤(ピー・シェン・トウ・バン・ジャン)を炒め、香りが出たらダシ汁を加える。
 豆腐を入れ煮た後、醤油で味を調え、刻んだ葉ニンニク花椒(ホワ・ジャオ)を加える。

 これは、現在の陳麻婆豆腐のレシピ。
 代のオリジナルの陳麻婆豆腐は、一説によると、牛肉ではなく羊肉を使ったとか、花椒ではなく、花椒油を使ったと言うが、真相は定かではない。


Last Update 2012.06.01 Created by Majin